Research

マスメディアとリスコミ

研究のきっかけと趣旨

 大学2年生の終わりに東日本大震災がありました。当時わたしは仙台市の中心部に住んでいて、身体的・経済的な被害はなかったものの、その後の人生観や社会認識に(いまだにはっきりと言語化したくないのですが)大きな影響を受けました。震災後、大学病院でのボランティアやテレビ局でのアルバイトを経験しながら色々なことを考えたり考えないようにしたりするなかで、わたしにとって衝撃的な出来事がありました。


 記憶にある方もいらっしゃると思いますが、当時の復興大臣(故人)が取るに足らない理由で宮城県知事を恫喝し、さらに「これを報道したらその社は終わりだから」とメディアを牽制するような発言までしたことを、民放地方テレビ局である東北放送(JNN系列)が放送しました。わたしは関東出身ですので、地方テレビ局のことは恥ずかしながら「○○系列ハプニング大賞」や「24(27)時間テレビ」くらいでしか認識することがなく、たまにスマッシュヒットの番組を制作するとはいえ、基本的にはある種キー局に従属する放送事業者だと考えていたのは否定できません。しかし、大きな災害で人々が本当に困っているとき、地域のために働くことができたのは地域メディア(テレビ・新聞・雑誌・コミュニティFM含むラジオ など)だけだったのです(逆に、東京のメディアが被災地にとってマイナスになる動きをしていたことは多様な先行研究で指摘されています)。当たり前に思えるかもしれませんが、これはものすごく尊いことです。


 一方で、災害報道に取り組むマスメディアには課題もあります。それは昨今の災害は「不確実性」が高いということです。それこそ東日本大震災の原子力発電所をめぐる問題や、最近であれば新型コロナウイルスがイメージしやすいかもしれません。その道の専門家を含む誰もが「答え」を出すことができない問題、「答え」が日々移り変わるような問題を扱うためには、従来の災害報道で培ってきた方法論だけでは不十分な場合があるのです。


 そこで登場するのが「リスク・コミュニケーション」の概念です。多様な先行研究がありますが、わたしはこれを「リスクについて共考する(みんなで考える)こと」、「リスクを民主的に管理すること」と解釈することが望ましいと考えていて、とりわけマスメディアを中心としたリスク・コミュニケーションを社会実装するためのボトルネックとその解決策を研究しています。

 リスクを民主的に管理するためには、これまで以上にリスクに関わるステークホルダー相互の透明性が担保されなくてはなりません。とりわけ、それぞれの主体において「なにができてなにができないか」を共有することが不可欠ですが、実はマスメディアはこれが苦手であることがわかっています。忙しすぎてそこまで人員が回らなかったり、専門性を養う時間がなかったり、広告主や経営者・営業部門からの目線が気になったり、理由はさまざまです。そもそも日本のマスメディアには「パブリック・リレーションズ」(ステークホルダーとの関係構築)の発想が必ずしも醸成されてこなかった経緯もあります。これをただ批判するのではなく、「ではどうすれば実現できるか」を考えることが急務といえます。


 わたしがこの分野の研究に着手したのは新型コロナウイルス(COVID-19)がきっかけで、教員になって2年目のことでした。はじめて科研費を獲得したのもこのテーマです。とはいえ、わたしはメディアと公共政策の研究者ですので、まだまだ勉強することがたくさんあります。共同研究者とコミュニケーションをとりつつ、専門的にリスク・コミュニケーションを探究・実践してこられた先生方や諸機関のみなさまに教えていただきながら、アクション・リサーチなども交えつつ研究を進めています。


これまでの成果と今後の展望

 本領域におけるすべての研究成果はこちらに掲載されています。

 オンラインで入手可能なものを中心に、いくつか代表的なものを抜粋します。



・橋本純次(2012)「東日本大震災発生直後のインターネット上におけるデマ伝播のメカニズムと、その規制の可否」, 『東日本大震災に関する法律問題の研究』, pp.51-59.

流言に関する先行研究を援用しつつ、東日本大震災後にSNSを通じて伝播したデマを「情報の混乱によるもの」・「国民に対して注意を促すもの」・「特定の国や政党、団体、個人を貶めるもの」の三者に類型化し、それぞれについて、現行法ないし立法による規制の可能性を検討した。デマの規制は限定的な状況においてのみ可能であることと、平時から行政とメディアと国民のリスク・コミュニケーションがなされるべきことを指摘した。



橋本純次(2022)「メディアは災害報道の『メタ知識』を提供できていたか:COVID-19関連報道の総括に向けて」, 民放online.

一般社団法人 日本民間放送連盟の機関誌に寄稿した記事。熟議ではなく感情に動かされる政治過程を不可避的に実現してしまう情報社会の欠陥について解説しつつ、そうした状況でCOVID-19という不確実性の高い災害の報道に取り組むにあたり、民放各社には災害報道の見かたを示すための報道、言い換えれば「災害報道の『メタ知識』の提供」が求められていることを論じた。併せてその具体例として、①「専門知」や「エビデンス」といった概念は固定的な「結論」ではあり得ないこと、②メディアや専門家が自分たちの知見を信頼できるものと考える理由、③報道の内容や専門家の主張が移り変わること(非一貫性)を許容する意識の3点を示した。



橋本純次ほか(2023)「『不確実性』の高い災害をめぐるテレビ局によるリスク・コミュニケーションのあり方:新型コロナウイルス関連報道を端緒として」, 『社会構想研究』4(2), pp.57-66.

COVID-19に関するテレビ報道にあたって2020年1月以降に国内のテレビ放送事業者が直面した困難とその解決策について「リスク・コミュニケーション」の概念を端緒として考察した。本稿ではアンケート調査とインデプスインタビュー調査を実施し,「不確実性」の高い災害においてテレビ局によるリスク・コミュニケーションの促進がいかなる条件のもと可能か検討した。調査により得られた知見から,「視聴者ニーズ把握の困難」と「科学的根拠の検証能力の不足による専門家依存」というテレビ局の直面する課題を解決するため,「災害報道に関するメタ知識の提供」,「災害/科学技術担当記者の役割の見直し」,「記者のリカレント教育の強化」の3 点を提言した。



・Kuniko Sakata, Shinya Miura, Junji Hashimoto(2023)'The Roles of Mass Media in Risk Communication: From the Experiences of Japanese Media', IAMCR LYON23, Conference Papers.

COVID-19をはじめとする「不確実性の高い災害」において、マスメディアがリスク・コミュニケーションに貢献する可能性を検討する一連の研究のなかで発見された実践事例について整理した。とりわけ巨大な自然災害の被災経験を有する地方テレビ局の取り組みや、平時から住民との関係構築に奏功している地方新聞社の取り組み、また住民から地域情報を吸い上げ発信する回路を平時から構築してきたコミュニティ放送の取り組みを分析し、そうした地域に根ざした実践を全国的に展開することの意義を示した。



 そのほか、2024年度には他の研究者と共同で福島県いわき市と宮城県仙台市にてワークショップを行いました。前者はコミュニティFM、後者は地元新聞社の協力を得て実施し、市民・行政・メディア・専門家・事業者という5種類のステークホルダーが「リスク・コミュニケーションの理想像」や「リスク・コミュニケーションの未来計画」について共に考えられるようなプログラムを設計しました。これにより、参加者におけるリスク・コミュニケーションの理解醸成とその自分ごと化の足がかりとなる機会を提供できたのではないかと考えています。学会発表は済んでいますが、論文化はこれからです。

 それから、どうすれば民放地方テレビ局が不確実性の高い災害をめぐるリスク・コミュニケーションに貢献できるか、というテーマはまだまだ深掘りできると考えています。これまでの研究でいくつかキーワードは発見できているので、次の科研費で取り組みたいと思います。


おすすめの参考文献

 まずはなんといっても 木下冨雄(2016)『リスク・コミュニケーションの思想と技術:共考と信頼の技法』, ナカニシヤ出版. です。リスク・コミュニケーションをリスクの民主的管理、あるいは「共考」と捉える考え方は現代社会の状況に鑑みるととても説得力がありますし、これをどうにか社会実装することはひとつの大きな目標として社会に共有されるべきだと考えます。それから 鷲田清一(2013)『パラレルな知性』, 晶文社. は直接こうしたテーマを扱った本ではありませんが、そうした理論と実践の前提となる考え方や態度を提供してくれる名著です。


 もう少し広く、公共的な意志決定のあり方については、やはり ジェイムズ・S・フィシュキン(2011)『人々の声が響き合うとき:熟議空間と民主主義』, 早川書房. は欠かせません。あとは堂目卓生・山崎 吾郎 編(2022)『やっかいな問題はみんなで解く』, 世界思想社. もさまざまな気づきを与えてくれますし、最近は OECD(2023)「世界に学ぶミニ・パブリックス:くじ引きと熟議による民主主義のつくりかた」, 学芸出版社. のように網羅的に学べるような文献も出版されています。


 いま「専門知」が置かれている状況を整理するには トム・ニコルズ(2017)『専門知は、もういらないのか』, みすず書房. あるいは ハイジ・J・ラーソン(2021)『ワクチンの噂:どう広がり、なぜいつまでも消えないのか』, みすず書房. などもオススメです。具体的なリスクの事例について知りたいのであれば、欧州環境庁(2005)『レイト・レッスンズ:14の事例から学ぶ予防原則』, 七つ森書館. がショートカットになるでしょう。個別の事例についてはネットでアクセスできる文書がたくさんあるので、そのあたりも調べてみてください。